高輪 東禅寺

   1609年に赤坂に開かれて、1636年に現在地に移された、
  妙心寺派のお寺です。
  
     

    幕末にはイギリス公使館が置かれましたが、1861年、
   攘夷派の水戸藩士らによって襲撃されるという事件が発生
   します。当時の領事は、『大君の都』を著したオールコックです。

    襲撃事件の後、イギリス公使館は、御殿山に移ることになり
   ました。ところが、建設中に、攘夷派だった長州の高杉晋作、
   伊藤博文、井上聞多(馨)らが御殿山を焼き討ちしました。
   伊藤や井上は、その後、イギリスに留学し開国派に転じます。

    品川や高輪の地は江戸の玄関口にあたり、また、薩摩藩の
   屋敷などもあって、幕末の物語にはよく登場するところです。 

    そうした激動の歴史を感じさせないくらい、現在の東禅寺は
   静かで趣のあるお寺です。

    このお寺の南側には、桂坂の途中に出る洞坂(ほらざか)
   という坂があります。この坂も静かで、ゆっくりと歩いてみたく
   なる坂です。


    オールコック 『大君の都』 (岩波文庫)
                             山口光朔 翻訳

    「東禅寺は、江戸にある最大かつ最良の寺のひとつで
     あって、仙台侯(伊達家)の特別の保護をうけている。」

    「右手の方は、傾斜の急な土手によって景色がさえぎ
     られているが、その土手にも、種々雑多な花のさく
     灌木や笹がおいしげり、林のついたて以上にみごと
     である。ここをとおっている小道をたどってゆくとジグ
     ザグの階段があり、それをのぼりつめると、りっぱな
     並木道にでて、ひろい高台にたどりつく。そこは、よく
     展望がきいて、湾全体と市街の一部がまるで手にと
     るようにながめられる。遠景はさながら群葉をえがい  
     た一幅の絵のようであって、五〇フィートから一〇〇
     フィートぐらいの高さのマツの枝や幹が青空高く塔の
     ようにそびえたっている。」

    「だが、実際にはここは自分じしんをまもるに不利な
     場所であることが明らかでありながらも、死ぬための
     場所になるかも知れないというような不快さはすこ
     しも感じなかった」

     この本は、英国の初代駐日公使のオールコックが
    自らの滞在中の出来事を記録したものです。
     「尊皇攘夷」のために、命を狙われる危険の中に
    いて、さまざまなことを記録しています。日本人や日本
    の文化について、詳細な観察をしていて、興味深い
    記述が多いです。
 
      
                          Good Study 良学舎